先週、ビルの前に鳥居が現れて、思わず写真を撮ったという話の続きですが

謎が解けました。

そのビルの近くに御霊神社発見!!調べてみるとー・・・

●南鳥居

江戸時代までは、神仏習合の時代でして「神宮寺」という寺社に付属して建てられたお寺がありました。
御霊神社も神社とともに「宝城寺」と言われる神宮寺が併設されていました。
その当時の境内は、今より広かったようでして、明治時代の神仏分離令により、

そのお寺の敷地が切り離され、現在も神社の南側に鳥居だけが残ったと言われています。

 

御霊神社は、古来、北船場の淀屋橋から本町、中之島、土佐堀、

江戸堀、京町堀、靭、西本町、江之子島、南北堀江の西部等の旧摂津国津村郷の産土神として、

多くの氏子・崇敬者の崇敬を集めています。浪速の氏神として、

特に厄除け・縁結びの神様として格別の尊崇を受けています。

また御霊神社は、船場言葉の御寮人(ごりょんさん)(商家の若奥様)と語呂が似ているところから、
御霊さん(ごりょうさん)や御霊はん(ごりょうはん)と親しみをもって呼ばれてきました。
境内には明治十七年(1884)から大正十五年(1926)まで人形浄瑠璃御霊文楽座 があり
文楽二百年の歴史のうちでも、もっとも華やかな時代をつくりました。
大阪市の建立で「御霊文楽座跡」の石柱が、また大阪北浜船場ライオンズクラブの手で「
文楽座の跡」のブロンズ製床本型の記念碑がつくられました。